起きて書(君主論系)を読みDVD(上野千鶴子)を眺める

タイトルにいれとくと振り返られると思ってやってみたがまあその程度である。TV特番などを眺め見てリフティングで浅草巡りスゲーとか浅草ホールでやってる昔ながらの漫才を見たりしてちょっと下町の正月ってなんかいいよね伝統感あってと思いつつ今はニュースで光の帯となった東名高速を見てます。すげー眺め。
飲んで帰ってきて風呂入ってなかったので風呂に入りつつ眺め見たのが成毛的君主論

成毛眞の超訳・君主論 (メディアファクトリー新書)

成毛眞の超訳・君主論 (メディアファクトリー新書)

成毛氏の本は好きなので毎回買って読んでいる。で、古典は内容さえわかれば原典じゃなくても良いよという話。こういう本とか目的がビジネスとかで良ければそういうもんでもいいよねとは思っている。原理原則を知りたかったから原典に当たることは意味があることだとは思うので、学問を志すならきっと原典主義であるべきなんでしょうが、マネジメントとかを考えるのは余暇活動ではなく仕事中身なのでエッセンスでいいのである。ねじれているね。そう、余暇活動こそが原典主義なのである。今は。
で、DVDブックスってのもそこまでなかったしという物珍しさで買ったのが上野千鶴子最終講義。
DVDブック 上野千鶴子 東京大学退職記念特別講演 生き延びるための思想

DVDブック 上野千鶴子 東京大学退職記念特別講演 生き延びるための思想

弥生講堂でやったらしいが、本郷キャンパスじゃないので映像用のV撮りましたね感があるがまあそれは視聴者サービスでありましょうと。フェミニズムの決算、としてだけやるはずの講義が東北震災の影響で延期になってタイトルも変わったということでした。
フェミニズムというものにどれだけ仮託出来るかというと、そこまで男女間の社会的格差問題みたいなのは考えたことがなく、かつ逆差別的に今の女性のほうが出来るとか思うもんで興味はあまりなかった。出産したり結婚という制度だったり、今上野さんが取り組んでいる「ケア」という点が入ってくるとなるほど性差の問題が発生するなとは思った。
はっきりいってこれからもフェミニズムそのものを学ぶことはないだろう。だがすでにしてなにかを思索するという行為のなかにフェミニズムとかジェンダー的観点は前提として組み込まれているような気がすることですが。
逆説的ながらDVDを見て思ったことはじゃあなにが自分にとっての大切な問題意識なんだろうかということだった。DVDの中であった言葉「問題とは?」という生徒の問いに対して「問題とは、あなたを捉えてはなさないもののこと」という言葉があった。正確な言葉ではないと思いますあしからず。
言い換えれば実存的に仮託し得る問題はなんであるかという問題で、そういうのなんかあるんだろうかと毎日繰り返し問い続けていることが期せずしてここでもつきつけられた次第。いわゆるロスジェネ的言説に興味はないし(世代として便利だけどあまり小泉ネオリベ改革が影響したという実感はない立場だし)悪く言えば島宇宙的興味関心レベルではないかと思う。大きな問いを立てることが困難な時代なのかしらという気もしている。国家、市場、家族、社会そんなところのなにに問題意識が持てるかというとこれは結構難しい問題だ。全てが無関連ではないが、どれが中心的主題であるかというと特に定まらない。えいやっと決める、ということになりがちだと思われるのがあまり優柔不断でない俺にしては続いている優柔不断である。
昨晩もそんなことで語らいあったがこの短いながらの10年で関わり続けた広告という分野がひとつの土台なのかしらとは思うのだが、もはや当事者ではないので語らう資格がないというよりは問題意識を共有出来ないという悩みもある。
ひとまずは悩み続けていくわけなのであるが、自分自身にとっての「問題」というものを考えぬいてある程度見定めたいのが2012年だというのはやる気のないゆとり化している自分がいっこくらい持っている目標ではある。他の真面目つぶやきにはつかずにやる気無くしたとかいうつぶやきに10likeつくとかどういうことよとか思うけど共感なのか俺という人間性へのちょっかいlikeなのかはわからないがまあそのへんは考えないことにする。
フィールズ・ライク・ホーム (CCCD)

フィールズ・ライク・ホーム (CCCD)