『暇と退屈の倫理学』をやっと読了

暇と退屈の倫理学
ブクログでけえな…
あえてブクログのタグではってみた。久しぶりに長くブクログ側で感想を書いてみた。こっちにも貼ってみる。

久しぶりに読んだ前提知識なしにどこまでも深く読めるという太い本だった。大作だと思った。知識として第二章の定住革命のところは驚きを感じたし、最終章から結論に至るまでの展開はスリリングだった。著者の価値判断が挟まることが通常であれば面映くも映るものなのだが、この著者の語り口にはそういったところが感じられなかった。一周回ってハイデガー実存主義を体現しているかのような気にもなった。
消費と浪費の考察は広告やにとっては耳の痛い問題であるし、俺自信にとっては教育系へと移行したのなら、贅沢のための教養を志向するという具体的行動指針をもらったような気にもなった。
多義的な解釈が出来るための材料がちらばっていて素敵な本なので、輪読にもいいかもしれない。新年初頭から豊穣な読書体験となった。風呂でちまちま1章ずつ読んだけど出来れば1日で一気に読み進めたほうが興奮度が高いかもしれない。
『暇と退屈の倫理学』のレビュー 國分功一郎 (shiraberさん) - ブクログ

とか書いた。日記側であえて蛇足して書き加えることもないのだが、スリリングな読書体験だということは強調できる。
最初にこの本を見つけたのはたしか丸善の棚だった。また新しい現代思想系の著者ですかと。不勉強ながらに処女作っぽいPOPで書かれていたもんで、あと装丁も最近流行りの街空撮系の買わせる装丁だったもので、ああポスモダ系というか知的ワナビー向けの本ですかねという少し意地の悪い印象をもっていたのだが、なんらか気にかかっていたのだった。
電通の子をして「読んで死にたくなった」というので、最近死への欲望どころか永遠に弄れんばかりのゆとり化している我が身としてはきっと逆の作用が起きるのではないかと思っていたら案の定、俺はこの本を希望として受け取った。ある種の指針なりガイドとしても読める点が多々あったのだった。

消費をどう考えるか…疎外という概念…贅沢という行為…決断志向という「弱さ」…退屈の第二形式が持ちうる人間讃歌ー強度…定住革命から生まれでた退屈という宿命…

こんなあたりがキーワードになりそうなことである。もうちょっと整理したらさらに出てきそうではあるが、とりあえず読後感の貴重な熱で持って深夜なのだが日記に残させてもらうことにした。
きちんと読書会などの題材にしてみたい本である。テーマは確かに少し難しいのだが、同時代人として共感し、考え得ることが出来る形でテクストにされているということは素晴らしいと思う。俺が頭が悪かっただけではあるのだが、90年代後半に至るまでの難解ベースな現代思想とはまた違って、解釈へと至れる親切さというか、國分氏の伝えたい欲求のようなものが、心地良いサービス精神で差し出されているようにも感じたのであった。
ちなみに著者のサービス精神はこの読書リストにもふんだんに溢れている。
【新宿本店】《今こそ!人文書宣言 第25弾》 國分功一郎 選 『暇と退屈の倫理学』から歩き出す(~2012年1月20日) | 本の「今」がわかる 紀伊國屋書店
あと個人的には、あとがきで博士課程に差し掛かった頃に感じていた問題意識をこのようにつなげるに到れるようになった、とあり、勉強することで成長できる、高い認識に至れる、という希望が響いた。体系立たない学びに不安を感じている我が身としてはなんとも希望めいて見えたものである。

つうわけでこっちにも貼っておく。もう少しでAmazonギフト券対象になるので欲しい人はぜひ俺から買って欲しい。初めてこんなことを書く次第である。

暇と退屈の倫理学

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