ひとまずこれでおしまい宮台先生ネタ

今日で、補講の回を含めて宮台講義が終了した。
いちにもににも、ああ良かった感である。
これは、内容がどうというレベルではない。
その目的、変性意識で動機づけられ、感染が達成されたという点においてである。まあ構造的には宗教的なものですな。

内容がどうとかは、いろいろ講義であったけど、まあそういうことはセカンダリである。(ゴメンナサイ)
「黒光りする状態」という変性意識、高揚、お祭り、瞬間恋愛的なロマン主義という態度を継承したという意味でこそ価値であった。
コピーはいらないからな。アティチュードさえ受け継げば、アウトプットは違っても、そう、レベル感が違ってもいいと思う。

個人的には、さらにお祭り体質というか、おせっかい交わらせ能力が高まってしまったように思う。たぶん、一昔前の編集者体質なんだろうなとは思う。自分をそこに賭さなかったからしょうがないけど、そこに一足飛びに行ってしまったらできていなかったことでもあるだろうとは思う。

とにかく、勇気づけられた。これって、教師の一番大切な能力じゃないだろうか。コンテンツ面に関しての頭でっかちな意見もあったけど、俺はそうは思わない。人が動ける力を持つ、それを否定しない、生ぬるくても、これでいいと思う。このほうが、強度をもつ。かっこいいと思うと思えたから。でもなにいってもモテるイケメンに生まれ変わりたいけど。

それとは別に。

今日は7月25日。日にちには意味が無いが、ある種の転換期となったように思う。やってきた学び的行為に楔をうって、次の段階へといかねば、と思えたからだ。これから、インプットそこそこに、外化しなくてはと思えた。

宮台講義のおしまいもそうなんだけど、上司に学びの意味合いを尋ねられて、内省したからだ。曰く、勉強好きは勉強に溺れる、と。その傾向が俺にあると。

違う。
わかってない。

勉強好きではないんだ。そんなヤツいるのかよ(いるか)

これは、正直に吐露をすれば、ロスジェネの心性というやつである。『ロスジェネの逆襲』を読めば、わかる。徒弟制も崩壊して、立場でしか抑圧しない包摂性のない職場に育って獲得してしまったエートスということだ。

組織に依存出来ない、それを過剰に意識して、ああはなりたくないね、というものばかり見えて、頼らない、頼れない。
だから、学なり、キャリアなり(クソな考えでも)つくって耐えられる能力を形成しようとして、試行錯誤する。自助努力する。

でも。

20代はそれで良かったかもしれないし、そう生きてきたんだけど、コミットしないと得られない強度があると思えた。あえて、の再帰的美学。まるでオウム以降の村上春樹だな。

未熟でも、批判にされされても。勘違いでもいいから出せ、と。だいたいが勘違いだからさ、と言われ、結構すっとした。そうだよな、かっこわるいし、もう転職して1年だし、出していくかと素直に思えた。そういう段階に、来ているのだろうと思えた。

生活が落ち着いて、人間関係もグッドになり、持っているものがあると思える。あとは、やるだけやらねば、と思えた。

言い訳的には、1年間は迷いながらあれこれやってみようと思えた。あえての文脈を無視した学び。会社の仕事に直結しない学び。だから、放蕩扱いだったんだろうとは思えた。そりゃそうだよねとは思う。さぼってはないけど、関連少ない自己啓発してたらそういう見られ方だ。

会社の仕事楽しいし、俺はハイパー社畜(でもないけど)を目指すのも面白いねアハハとか思えた。社畜ってのは主にメンタリティだからな。いいとこ取り出来ないんだから社畜乙って言ってるだけじゃ飯も食えんし、IT系ベンチャーなら社畜でないかというとそうではないし、むしろそういうところのほうが給与とか人間関係的にも社畜である可能性もあるという事実はいい加減Bクラスタも気づいて頂ければと思う次第だ。

閑話休題

職権濫用。立場をいかして、自己実現マズロー先生、俺、5段階目にいかせて頂きます…ってなもんだ。

ヤリタイコト、その場で早速合意とっちゃった。
やるしかないな。
そう思えたのも、きっと、10年後しに夢つうか、思いがかなって、思いがけない成長が実感出来たからだろう。自意識が薄まって、宮台先生と平気でひとりの人間として語らえたことで、ああ、そうだよなと思えたんで。

やっぱり、大人を変性意識状態にして「黒光り化」するオシゴトをすることが、俺の存在意義なのかなと思う。成人教育とかオトナの学びって、かっこよく言い過ぎだけど、いってみりゃ、それがキャリア自律ってもんだろう。

やっぱりお祭り体質だから、そろそろ仕掛けていこう。社畜ロールモデルを目指してまだ道半ばである。

これで、10年続いたある種のインプット主義から脱却して、第1章【完】としたい。ちゃんちゃん(・∀・)とね。

ロスジェネの逆襲

ロスジェネの逆襲