日記だからもう少し書こうかと

日記だしもう少し書きたいものだと思うのだが、ほんと忙しくてマジ書けなかった。いや、時間はあるのです。仕事以外の。
だけど、大学院とか他のはずせない付き合いとかで無駄ほとんどなくこの3ヶ月くらいは来てたからなかなかゆとりがなかった。ゆとリストとしては不覚なのだが自分でつくった機会だからしょうがない。

ストレッチというレベルではなくて単に時間の使い方の練習とか限界を見極めるというだけである。だが、やらなくていいことは意外とあるもんだということも気づけた。

あと優先順位を決めてやるとひとつ、せいぜいが2つしか出来ないもんだなと思った。勉強はやれるのはひとつだ。同時に英語とか居間は難しいなと思った。当該分野の知見がないと、これも負荷になる。社会システム論と社会心理学はそこまで遠くはなくても違うディシプリンだからやっぱり苦労する。会社でやってることも無関連ではないがやっぱり違う分野なので苦労する。

あれもこれもとならないようにせねば、と思いつつ、この段階ではまずはあれやこれやとやってみようと決めたわけなので自己責任段階だと思えばしょうがないかとも思う。
もう少し基礎力を積んでおきたかったなあと思う次第だが。主に英語で。とはいえ、不安なだけで普段使わないし、今力を伸ばしておかないといきなり英語で読めないってだけで別に問題はないんだよなあ。

と、今日は面白いこと聴いたから雑記として記載しておこう。TED的なモノということに得に意識してなかったんだけど、どうも(笑)的な位置づけという認識でいいのかなということだった。あまりにも見たことなかったし、IT業界お祭り的な位置づけと思ってたけど、どうやらネクストカツマー的な人はこういうところにありそうだということなんだね。

社会というのは再帰的に少しずつ形をかえてムーブメントとして意識高いブームが起こるものなんだなと気づけた。まったり革命よ、いまこそ!である。いったいぜんたいコンサマトリー化とかいってどこにいるんだいまったくという気もしないでもない。それってたんに古市の資質と重ねあわせてみてしまうっていう現象なんじゃねえかと思ったりすることもある。

新住民的な自分でも、日本的感性、エートスが深く根付いていて身体に潜む力<強度>があるのだと宮台センセの話を聴いていると感じてくる。大学が結構テキトーだった原体験のおかげなんだろうな。そのOS自体は、ギリギリの多感期でなんとか残党として残ってるという感じだろうか。それこそ退却しすぎた状態が一般化すると「TED的なものこそがオレの感受性、イケてるだろ」とかいう感じにしかならんのかなそれってホットドッグプレス的なものかよ今更という感じになるのだろうか。

なんてやっぱり文化論が一番面白いなあと思ったので、余生はこんな感じで柴田元幸×村上春樹的な世界観でまったりんこしたいものであるなあ包摂ほうせつヽ(´ー`)ノ