広告議論会をした

議論会をした。広告について。
広告から遠く離れて三千里、そろそろもう感覚もなくなってきたというような自信喪失(広告的な自信喪失)にあった。別にソレで良い。もう業務とは関係ないから。職業的アイデンティティの根幹をなしていた広告と袂を分かって半年ほどになるが、さすがにそれなりに落とし所をつけたいと思い続けているところがある。
とかいって、広告雑誌の実質象徴編集長であるとか、未来のスペシャイラストレーターさんを交え、デンツマンにそばをゆでさせるという包摂性あふれるそばナイトを実施したりしていたので、俺の広告との関係はなんなんだろう感がまだあるというわけである。
そんななか、某広告系勉強会の準備会を厚めにやった。なかなか高揚するものである。爆発はまだこれからであるが、火薬が仕込めた感があった。導火線をもう少し伸ばせばイケるかもしれないと思わせた。
門外漢が広告を考える、ということは、それなりに面白いことかもしれない。はっきり言って、広告なんて人生的に無関係だったし、どうでもよかった。俺がなぜ粘着しているかは、ひとえに無意味にならないように意味づけをしている、という実存的な背景はあれど、それでも俺なりに「広告」というものがもつ性質を賞賛したいからである。ものを売る、という広告的行為ははっきり言って、もうどうでも良い。俺にとっては、広告はどうでもよくて、広告的振る舞いというのが関心対象なのであった。
という、なにも言っていない日記を今日もかきかき、寝るとする。だが、今後は少しずつ、陽の目を見るかもしれないこの行為、という気もしているのではある。もう少し、私と広告との関係は模索である。