もうすぐ1年か

http://cgi2.nhk.or.jp/nw9/pickup/?date=120305_1
すごいよね。
俺だったら行けない。
今でも、やっぱりいけてない。

まだその時ははてなにいて、京都ですら揺れを感じた地震だった。というのを去年も書いてたかな。
震災は、間接的にだけど確実に自分を変えた。すまいも仕事も人間関係も、すべての環境を変えた。まいにちずっとその土台の気持ちを持っているわけではないけど、その時はどうなっていこうかととても考えた。どちらかと言えば、体験しなかったからこそ、当事者でないからこそ、その輪に入れないのが、なんだか自分の性格とか生き方を体現しているように思えたからだ。極私的すぎる理由だが、真実だ。

昨日みたNHKのドキュメンタリーで久しぶりにすごい勢いでゆれる映像を見た。東京でもすごかったのだなと、あらためて思った。あの感じを体験してなかったから、未だに共感しきれていない面がずっとある。それこそテレビで象徴的にとりあげられていたにんじんくんと同じ気持ちだと思う。俺も。

あまり地震のことで倫理的に語ることはできないが、はてなの映像みて、あーDNA残ってんなと思った。やっぱり近藤さんは変わらないし、すごいよねと思った。実際に、スタッフを連れていってその現場を共有してあげたんだから。

こういう時でもないということもないから思ったこと書くと、一緒に働くことは俺の能力的にも志向的にも無理だけど、はてなの出してる思いをだそうと思えるサービス(ダイアリーとかグループとか付帯するidトラバとか☆とかBとか)は、やっぱりオリジナリティですごいよなと思ってる。いまでも。

よくわかってない人はパクリとか自分でなにかつくったかねえとかいうけど、外面はそうでも、結果的にそのジェネラルな要素が使われるように、手触りでるようにカスタマイズしている。きわめて日本人的な匠の要素かもしれんが、それがオリジナリティとかクリエイティビティとかなんだろう。はてながそうということとかぬいて我々がじつは求めているものに、全く新しいものをつくる、ということばかりではないんだろうなとも思った。
ま、使い手さまさまなんだろうなあCGMってやつはとも思うのですけど。

たぶん、私は被災地に自ら行くことはないだろうな。だけど、そうでないかたちで、よのなかにもっと向きあえるようになっていきたい。あまのじゃくですまんだけど、自分の内発的な気持ちは、そうでないところで突き詰められるべきだろうから。とはいえ、結果的に向き合うかもしれないからそこは柔軟にだけど。
とはいえ、ジャストタイミングで私的にとても影響ある喪失があったから、それをきちんと整理したい。まだ、よくわかってない。