下痢ピー

どこぞやのタレントではないしそのピーのようにトリップもしてない。清楚な人ほど邪なものをかかえている、というとまだ浅くて、清楚な人ほどギャップがあるので、なんであのこが…ンマいやらしとか言われやすいだけなのである。まったくメッセージ性のないいつものような出だしでありますこんばんは。こんばんわ。
下痢ピーなのでありんす。下痢なんてひさびさです。おなかがゆるいのとかんぜんにわかつ、あの下腹にくるきりきりしたいたみ。しにたくなる。地味なボディブロー。
問題は体力より気力がそがれることであります。からだとこころは連動してるものですが、あっというまにうつゾーン突入なのであるなあ。つうわけでほんとにからだもこころもムーブせず考えることをやめた。
そこにいたるといかに我々が普段から考えるということをしてるものかとかんがえたわけだ。考えてはいるが、べつにただしく考えているのとイコールではないことに注意。よく最近の本では悩んでいるけどそれは考えているということとはイコールではないとか言われますね。まあおんなじようなことであります。
マッキャンゼーとか言ってるリバタリアンな人は生産的に考えろとかいいますしそれが彼らのビジネス論理だからまあいいのですけど、人文系の無駄なゆとり思考としては、まあ考えたところでそれなんか万人にしいるひつようせいあんの?とかいうニヒニズムで軽く経済の論理で駆逐されそうな存在の耐えがたいタール1mg・(○.○)*


もう考える気ない。


とにかく〜はらいてえんだよという日だった。貝はあたるな。まったくなえる。男たちの挽歌でも見ようとして疲れて今日はおねむ( ^_^)/~~~


たまにはまともな日記もかかないととは思うのだが、どうも書くべきこともなし。
さいきんはやっとアーレントとハーバマスが公共性について書いてたことを知ったのでああ大学でてからのほうが、あたまはまわるのかもなとか思ってるさっこん。

でも今日読んだのは聖闘士お兄さんですたo(^▽^)o