加藤 嘉一氏をみた、とか書いてたら現代社会論とかになった

講演みた。加藤嘉一オフィシャルサイト
例によって知らないというアンテナ感度の低さだった。中国論、大学時代だったら多少はウオッチしていたのかもしれないのだが、政治の時代は終わり今や経済の時代さえも終わりかけているように思っていたなか、結構触発される内容だった。ステレオタイプじゃない中国観というのは、やっぱり現地で活動して発言している人ならではだと思う。
講演の内容はきっといろんな本やブログで言ってるんだろう。ウオッチしてみたいと思う。が、俺はその人物の強度に憑依する体質であるからして、彼のはっするエナジーには恐れいった。26,7歳のようなんだが、あまり同年代にそのレベルの人がいるとは思えないくらいのエナジー。たまにみかける考える帰国子女の人文男子ってカテゴリーとしても俺が知ってるのは高等遊民のゆとりくらいなもんだから社会に接続して日本人というアイデンティティを持って世界へとコミットしようとするその態度には恐れいった。

われ日本海の橋とならん

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常識外日中論

常識外日中論

イケメソ(・∀・)

加藤さんの印象はこんなものだとしても、はなしてたオールジャパンとか、共同して、という内容の話から関連して思ったこと。ああ我々は、連帯するという行為ができない世代になったのだな、と。
格差と若者の非活動性について - 内田樹の研究室
結構この意見には賛同してる。
いやいや、ソーシャルうんたらとかSNSとかあるんじゃねーのという話はあるんだが、連帯ではないでしょう。基本いまのソーシャルって。井戸端の拡張ツールだから単なる。違う「連帯」のかたちとしてそういった価値観を認めようというもちお的な言説はもはやテン年代、とか糞な言い方だが、現在においてはどんだけゆとった発言だと言われかねない状況でもあるかしらんし。

連帯。
ロスジェネ的には、別にマイ・バック・ページみたいな世界観に憧れないでもない。むしろ、90年代最後のころまで、かすかにそういう残り香はあったと思ってる。ニューアカのまさにアカが残ってたレベル。大学時代の学祭にしても革マル資金源とかで学園祭がなかったまっさかりで失われた年代だわマジで(T_T)
今ほど就職に合理化した大学って感じでもなかったし、UFOのような灰皿だらけのキャンパスはそれはそれで中二的大学生連中にはいい気分だった。端境期ってよりも、も少し牧歌的だったかもしれない。急激にゆとれなくなっていった時代だったのだけど。
そんな時代でも、連帯する行為ってのはなかなかにし難かったなあと。俺、7月4日に生まれてを講義でマーティンって教授に見させられて、トム・クルーズとか扮するベトナム帰還兵がデモするシーン見て、つたない英語でライティングした思い出があった。デモとか、なんで連帯してるかよくわからない、意味あるのかそもそもって青二才的に書いたら、単位はきたけど、ユアアンサーイズノットソーグット的なことを言われて俺だけ口頭でコメント受けたからよっぽど怒れたのかもしれない、が、同時に単位をもらえるリベラリズムはそれはそれですごかったのかもしれないなあ。

横道にそれてばかりの日記だが。つながりの時代とかで連帯が望まれているように思いつつも、連帯せよという言葉からうける空虚さは、なかなかに避けがたいようにも思う。言い方を選ばずに言えば、ふつうの人にとっては、政治萌えとか国際関係オタクでもない限りは、中国論とかそんなんノイジーやわ、ってことでもあるだろうし。社会人の学びが帝王-奴隷の学問的マネジメントとかからしたら政経を語るノブレスな世界はまたひとつの「モード」という側面もあるかもしれない。紋切りの、だから倫理観を持ったリーダーを育てるエリート教育なんだ!的な話になるけどねこうなると。
そもそもが、元宮台信者現在ふっかつしぎみの俺からしたら、言説を借りるとそんなエリートリーダーとかの志向へと動機づけられる回路がないのが問題なのだろうとは思う。国益、とか国家を論じることへの面映さとか、個人のちからの及ばなさとか、はっきりいって絶望を通り越して無関心になっているのかなと思うわけで。

でも。
さっきのことと矛盾してるかもしれないが、真の意味でのポストモダンとなったのが今の日本だとして、今まで以上に解のない世界になっているんだから、どうしたっていいんじゃないかと思ったりする。無視されてたりとか、それでも無視しきれず関係そこねないようにしとこっと、ってアメリカとか中国に思われてるんだったら、国際的高等遊民として、熱くなりすぎず、狡猾な正体不明のファーイーストとしてそこに在ればいいのかもしれん。答えを出さないTPPとか、いままでどおりのらりくらりの政治とかも、それはそれで合理的なのかもしれない。戦略がない、というのは既存のフレームにのっとってみてるだけで、戦略を持たないことが最大合理だとしたらそれもまた戦略なんだろう。
って、そんな悠長なことをいってられないのが経済状況なんだろうけど、どうせどんなオピニオンを発したところでEU円高もタイもたいへんなんだから、なんか、勇気ある孤立的な超越する態度でもって接したらいいんでないかね。
政治や太平国家を論ずるのは前提知識もないとあかんなと反省はした。広告勉強会はちょっと業界もずれたし、政治経済をきちんとやるリベラルアーツな勉強会を志向し始めようかしらん。

絶望から出発しよう (That’s Japan)

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