毎日が100PV程度

も、いかない日記。
そりゃそうです。つうかスタッフでもなくなったのに読んでくれている物好きとかありがとうございます。日記でしかないのに。
今日は友だちってなんだろうと考えた日でありました。仕事が比較的早く終わったので大学で戯れにノートを広げて爆発したいリスト友達と思っている(いた)人リストとか書く程度の暗いこちゃんでしたこんにちは。
中年の危機って言われますが、それとはまた違った感じなんでしょうかねえ三十路の危機ってあるように思うです。三十を過ぎて、転職もして、また違ったサイコロ降り始めたながらに、二十代のように爆進邁進するってのはモードとしても難しいんですなこれが。
八塩圭子タンが著書でこんなん書いてました。

女32歳。
会社ではそれなりの経験をさせてもらい、やっと自分らしく仕事が出来るようになった。おいしいものを食べ、きれいな洋服を着られる程度の経済力もある。一緒に休みを過ごすパートナーをいないでもない。
でも、このままでいいのかな?
なぜだかそんな不安にとりつかれてしまうのだ。
それは、仕事人としての将来の自分を明確に思い描けないという不安であり、今が何か新しいことを試みる最後のチャンスなんじゃないかという切迫観念であり、結婚や出産や女性としての幸せがいつになったら私を迎えに来てくれるのだろうという心配である。

三十路の手習い

三十路の手習い

をいをい、テレ東アナウンサーで負け組とか\(^o^)/
というつっこみはあれど、まあ自意識としてそうでらしたのでしょうね。我が身としては、カードをこの前切ったばかりですし、絶賛切って、結構ハイな時間を過ごしてはいたのですが、忙中閑なのでしょうか、季節の変わり目だからでしょうか、多少ゆり戻しで少しぐらぐら気味の我が身です。とはいえ、多少メロウなだけで、人間としての業を思い出しただけであります。

はい、そこで論理的帰着もなく、なぜか友だち、という概念について考えたというわけでありました。別にFacebookの数とかそういうのではないです。めちゃくちゃすぎて2000近くなっとるし。まあも少しデプスな感じがするTwitterがわりという程度です。
友達、まともに考えたらどれだけいるでしょう。友達の定義をしなければなんですけど、こいつとは無条件でいたいですね、と感じられる存在として、どれくらいいるかと。さかのぼって小学校とかから書いてみたりしましたが、ずーっとみたいなのはないもので、幼なじみでずっととかいう話がある人が羨ましくもなります。ただ、これは他者性に関してのその人のスタンスだもんで、俺なんかは、やっぱりほとんど皆無です。ステージごとに変わりゆく感じでもありますが。たいていは会っても昔話とか、濃密だった時代の語り合いに終始するように思って、会うたび同期するレベルの存在とか、まずいないもんじゃないかと思うし。
そんなとき師匠(70代)は友達なんて3人だ、一人は嫁、とかいうのを聞いて勇気づけられた思いがありますがね。そういうファンキーな爺さんになりたいもんです。生意気でしぶといロックなじいちゃんが好きです。くたばらない感じとか、頭がまわってる感じ。めったにいないね。現役感が継続している人、やっぱり努力してると思う。
友だちに関連する本といえば、話題の橋下さんの本もけっこうお勧めなんですが。友達なんていらないぜ的な内容だったと思うけど。

どうして君は友だちがいないのか (14歳の世渡り術)

どうして君は友だちがいないのか (14歳の世渡り術)

日記にしては重めだったが、秋なので良しとする。