真夏の忙中閑
忙中閑有りというやつか。久しぶりにゆとりが出来ていろいろ考えている。このモードは半年ぶりくらいな気もするし3ヶ月程度の気もするが、久しぶり感があるのは確か。ちょいと無理やりにいろいろ予定を詰め込んでいたので走り続けていたのであった。仕事、遊び、学び、と。先週は南国に行っていたのに、そこよりもなにもしない感がある週末になった。人とあわずに、かつなにもしないというふたつの条件をやったのが久しいということだ。どちらかなら結構あるかもしれないのだが。
時間があると余分なことを考える。だから良くない、という時もあるが、いまは一概にそうも言えない期間かもと思う。意味があるかないかはわからないが、内省をしなくてはいけない時期であるとも感じているからだ。もやっと感は高い。
次のステージのために必要な時間、とかいうリニアな感覚でもなくなってきた。階段上の進化とか、そもそもの進化という概念にも最近は違和感が出てきたりしている。ドラクエ的レベルアップ史観じゃだめというか。人文図書を読むとそうなる。読まなきゃいいのに読んでしまうとそうなる。でも読むべき。というアンビバレント。
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/07/01
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最近は、毎日のように「オトナの学び」ということを考える。これは難しい。リバタリアンよろしく、戦闘力高いやつ産めばいいんだろという短絡的な発想ではいけない。一方で、そこから離れてアカデミックを単に賞賛するものでもいけない。べつに思想的な意味じゃなくて、そこには哲学がいるのだろう。背骨の通った考え方とか「さま」がいるということなんだろう。
リニアじゃなくてもいいけど、なんらかヒントになるものはないかと考えながら過ごしている。書を読み、映画も見て、散歩しながら考えてみている。足りないのは、メンターとか対話、か。指標になる感染対象があまりないのは、きっと年齢を重ねたせいもあると思う。ロールモデルとも言いかえれるが、そういう存在は必ずしもなければいけないものでもないだろうけど、欲している。つまみ食い的にあの人のここを見習いましょう、というやり方は、Tips的でどうでもいいよね。全人的な感染対象、べつに聖人君子でなくても「ヤバイ奴」でOKだが。
そんなことを東京タワーとオリンピック眺めながら、デンツマンと電通社屋は見せないようにして語らい合った夜であった。
随筆。