礼節やら気遣いやら

まったくはてな民には必要ないアビリティだがこれを前提化してしまうオールドタイプはきっと負けだろう@webコミュニティにおいてという話し合いをPR女子としてるナイトだお。
宮台センセは十数年前に「自分以外は皆風景」という世界認識であるとして女子高生の世界観を定義されましたが今やそれがスタンダードなのではないかと俺自身は思っている。それと俺自身が老害的メンタリティであることが悩みではあるが、そんな俺が職場ではきっと礼節足らずという扱いであるので、つまりこれは働きアリとか閾値の違いでしかないのだとは思う、のだが、やっぱり境界があるように思っているのである。あ、やっぱりコルトレーン調入りましたひらつかさんすみません\(^o^)/
そこにおいて社会化されてしまうことは、生きづらさを抱え込むことであり、むしろ負けなのかもしれないとすら思い、子育ての不可能性へと思い至ったのであった。
簡単にいえばこうだ。あいさつの魔法ポポポーンをdisってる暇があったらお前があいさつの魔法を起こせるアビリティを得てからいうが良いという教条的な事を言いたいだけの日記である。どんどんおっさんくさくなっていく。だが、理想のおっさんは奥田民生的な存在感なので、まるでそういうことをいわないような人間のほうがほんとうは望ましいのである。

しかし礼節と倫理はまた別問題なのであらうか。倫理研として土曜日に広告に倫理はいるかいるとしてどんなだという原理的な話し合いをしたが、それって単に年寄りを敬いなさいレベルでない倫理というものであろうか。人が嫌がることはしない、相手が言いたいことを言いましょう(たかし)みたいなことを教わったのだが、広告の作法はとても前近代的プロトコルではあったなとうっすら思い出したのであった。とはいえ、そういうことをいう人が一番こまったちゃんだったりしたので、嗚呼これっていい感じに日本社会じゃない年功序列で俺もいつか威張れるのかないいなー\(^o^)/という感じだったのかもしれない。
身も蓋もないことをやさしく言う糸井重里的なメソッドをもちたいなあドラゴンボールがあったらそのアビリティちょうだい111といいたい今日この頃なのであった。生八ツ橋おいしかったです。

あー今日も思考がめんどくせヽ(´ー`)ノ

礼節のルール

礼節のルール