自分にとって文章を書くということ、と、学びに書くことをいかす
2012年、2/29うるう年の日に思いついて勢いで書いたことである。
以下のことを思い出して、体系立たない学びを加速させ、学びがきちんと身になるように習慣化したいね、ということで抜き出してメモっておく。
「わたしにとって」書くことのもたらすよい出来事たち
- 書くことでのセルフモチベート、俺にとっては半端ない
- アウトプットによる記憶定着が多少ましになる
- 書くことによる高揚感。これが俺パない。
- 内容へのひとりつっこみによるメタ認知。これで定着する、か、なー
- 後から振り替えれるひとりリフレクションシステム。スキマ時間でスマホで自分の日記みたりするネクラにはいいだろ。
- 蓄積が目に見える貧乏性努力補完メソッド。ノートを貯めることが出来ない俺は2バイトの塊である日記エントリーがそれに適してそうである。
- 書くことで高揚してくる。大事なことなので2回言いました。
- 運動するから目覚める。眠い時に効果てきめんかも。これ意外と一番メリットかも。
- 書くから運動記憶的に眺めるよりは定着、しそうだ。アウトプットせなあかん、ってしゃちょうに言われたこと強烈に思いだせ
- 努力の結果が後から振りかえれるので意味ねえとか落ち込みがちな俺にうれしい。二回書いてたからよっぽど努力の跡が求めていることなんだろうとかメタ認知。
- 乱筆のミミズ字の俺だが、このスキンの結構好きなフォント形式になって心地よく読めるので嬉しい嬉しい。
- 最近は手書きでもいろいろノート書くようになったが、見返すよりは、やっぱり集中のためのツールでしかないのだな俺には。
つまり、書くことで、学びの定着が高まる
そんでもって、俺には、ようは書くことは発散なのだ。自分には。
アイデアの発散。もやっとする気持ちの発散。こんなスタイルもあっていいじゃないの、と自分に言い聞かせるためにあたまにくるタイムスタンプにして残しておく。あたまにくる、ときにこそ読みなおしてみむ。