書くということと自分の関連
メモであるが、自分にとって大きな気づきになりそうなのでここに記す。と、Firefoxがもうver10とかになってるのかーと通知がきた。しばらく使わなすぎていたからなあ。
忘れそうなのでキーだけ書いておこう。
メリット
- 書くことでのセルフモチベート
- アウトプットによる記憶定着
- 書くことによる高揚感
- ひとりつっこみによるメタ認知
- 後から振り替えれるひとりリフレクションシステム
- 蓄積が目に見える貧乏性努力補完メソッド
以下、駄文
今日は予定がスマッシュなメディアの人とのお食事がなくなったので(おなか痛いのはほんと嫌だから、最近なってしにたくなっていたから思います。お大事に)早く帰ってきて男たちの挽歌2を見た。いいね。もうほんと西部警察のりとか思い出したけど、こういう高揚感がきっと今の時代にないものなのだろう。足りない、というようにはいわないが、こういうギトギトした生というのはやはり高揚する。ここまではたんなる雑記。
ここからがもっと単なる雑記ながらに大切とか思えたことである。小さな発見大きなステップ、なのであるが、つまりこの「書く」という行為を中心に位置づけたいと思うのである。前に書いたような記憶があるが、今日は改めてこれをもう少し実感込めて思った。風呂で。
なにかというと、アウトプットによる高揚がベースにある。最近3ヶ月ほど毎日書き続けていた日記を書かなくなった。これは、まあいろいろ忙しいという言い訳はあるが、その実、書くことに対するありがたみがあまりわかってなかったのである。まあくだらん日記なのであるが、あくまで「自分のためでしかないが自分のためには相当になっている」という大事な事を忘れてしまっていたのであった。今日は勢いの文章で書きます。もう高揚感を前面に出してうららうららうらうら。
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最近、DUOをやっている。あれだ。単語システムである。単語帳である。俺は高校時代その前史たるWAOという作者が違う出版社で出していたプロトタイプを教師から押し付けられてやっていたので、あまり鈴木陽一先生に対しての愛情がなかった。WAOも良かったんだろうけど、俺は押し付けられるのが人の1.5倍くらい嫌いなので、いい単語帳だったのだろうけどターゲット旺文社をやっていた次第だった。アレはアレで好きだったけど、ついぞ単語帳をやりきったという自覚は今でもないのである。
とにかく、英語については、やろうやろうでやってないということでいつのまにかアラサーである。嫌いじゃないはずということを理由にテキトーに流していたが、そんで思いついたようにやってはやめてを繰り返していたのだが、最近は学びな職業になったこともあり、学習する習慣がついてきているので、ここでいっちょ、失われた時を求めて、ということで英語に手を出し始めている、というわけ。
だが、もともと俺はつまらんことというか、地味な継続が嫌いなのであった。継続が美徳。俺も大賛成。だが、こういうなんか耐える的なことをこつこつ出来ない躰になっていたのだった。高校以来そうである。中学までとは体質がかわった。思春期になにかあったんだ。まあオアシスだな。
というわけで、こつこつよりは別にいっぱつ逆転ではないけど、停滞感がないようなことをいつも志向してしまっていたというわけ。
でも、学びというのは継続が大事とか、まあだいたいそういうことになっているし、成功者とかいう人も継続が、とか習慣が人を変えて人生かわる、みたいな大前提を話している。当たり前っちゃそうなんだが、出来たら苦労しない。
ここ。だいじ。
出来たら苦労しない。
でも、ここが「出来たら」にする工夫にフォーカスできんもんか?
これが問題意識であった。というわけで、ここをもんわりとずっと考えていた早帰りの日ということであった。挽歌2でチョウ・ユンファみてたけどそういうことも考えていたのかもしれない。
で、こじつけだが、こんな自分がなにか続いている(いた)ことを考えてみたら以下のことだったわけである。
- 読書なりなんらかの本読み
- この日記書くこと
- ペンギン愛でること
- コーヒーを飲むこと
- 部屋とかすまい考えること
- 生きていること
したあたりはもう適当である。このなかで大事だったのは、本読みと日記のところである。
地震がきたので保存しておくことにする。FF落ちたし。
*
つづき。
地震だったりFFが不安定で落ちたりした。まあいい。
「俺にとっての」継続するそうち
本読みと日記システムである。これをうまく活用できないかと思ったのであった。もう冒頭にかいたのだが、
- 書くことで高揚してくる
- 運動するから目覚める(これ書いてなかったな)
- つまり、書くことで、学びの定着が高まる
と予測。
これを勉強メソッドにしようと思ったのであった。もちろん俺なりに。そうやって加速学習していった尊敬する御大になおやん師匠がいるのである。彼のようにエンジニアではないが、とりあえずわかったことやわかんなかったことをアウトプットしていくことで、知識やスキルのアップとキャリア構築とあともろもろいいことがついてきたという人が身近にいたのであった。僕はすれ違った程度ですが、とても人間の成長というのをダイレクトに感じさせていただいたので今でも憧れであります。そういう人は少ないものだ。余談した。
まあ
書くことは快楽なのである。自分にとって。自分の文体でどうでもいいようなことを垂れ流すということは、精神衛生上も良い。誰も読んでない程度のところがまたいい。多少は見てくれているとかというのもこれまたよい。数PVが右上でちょこんちょこんと増えてくれる程度でいいのである。なにか、世間から反応があったよね程度だ。昨日のβ氏のアクセス一発で大逆転程度のレベルだ。一番みられた時期のカウンタ入ってないしな。
思えば意味不明なまでに書くことでのへんな突き抜けさは俺のちょっとした武器、でもないが、足しになってきたということは確実にある。思い返してみても、高校生の読書感想文、転職とかのエントリーシート。やめる時に書いたこの日記。全く響いてくれなかったラブレター(だから今は書くことを禁じた)、などなどがある。高校生の時はイミフに分量だけやたら書いただけだったのに県大会で優秀賞までいった。賞に無縁な俺にしてはがんばった過去である。確か愛知県民の星たるイチローについての伝記本みたいなのを読んで書いた、のだが、俺は今は別にイチローはそんなに心酔していない。昔もそこまでではあったのだろうけど、まあ今よりも純粋だったので努力がだいじとか思うようにしていたのだろう。
学習への具体的応用
あまりにしまりがなくなってきた文章なので、最後に自分用に振り返られるようにまとめる。きっと俺流メソッド系はどこかヘッダかなにか振り返りやすいところにおいておくことにする。
このメソッドをつかってやろうと思うのが英語学習だ。今の俺のレベルはなにがどうとか英語学習のノウハウがどうとかいうレベルではない。だってヤル気すら続かないのだから。力が伸びていく感じもない。なにより大事な時間を捨てることで、なんか大事な事とりあえず投じたんだよ時間の投資だよ投資という自己合理化のもとに浪費に近いことになっていると思われる。
浪費、は言い過ぎでそれも礎だろう。だが、もっと無駄なら無駄で、高揚して精神的なああやったね感を毎日もちたいもとうというシステムとして構築したいといま思わん。
たとえばDUOならば
- 覚えたい英文書く
- 単語ぬきだす
ここまではメモだわな。
- つっこみ的文章残しておく。
これをやってみようかと思う次第だ。
これをやることで
- 書くから運動記憶的に眺めるよりは定着、しそうだ
- あとから振り返って外でスマホでみたり出来る
- 努力の結果が後から振りかえれるので意味ねえとか落ち込みがちな俺にうれしい
- 乱筆のミミズ字の俺だが、このスキンの結構好きなフォント形式になって心地よく読めるので嬉しい嬉しい
こんなメリットだらけである。
デメリットとかはあまり今は高揚してて思いつかないが、まあPCがないと出来ねえじゃんとか、分量がそこまでこなせねえんじゃないの感とかがありそうではあるが、外でやる時にもあくまでこの日記へのマージを試みてネタ収集的な学習態度をとりつつ、帰ってきてPC撃ちこむぞ、というかたちにすれば良いのであろうな。
見出しにしたところあたりをまとめとこっと。
まあ
自分としての定着が一番だが、英語とかどうとかは別として、この自分のためだけのドグマ日記が誰かなりのなんかに少しは楽しいねとか寄与してくれればそれはそれで副産物であろう。このエントリはどうでもいいけど、今後の学び内容とかで。
ま、ぜんぶ俺にとっての大事な知識系なんだけどね。人によって身につけるべきことは違うだろうしなあ。
テレビみるだけとか、本眺めるだけとかよりは、生産的ではないにせよ、知識定着とか俺自身のモチベ保つには一番良さそうなので、ぜひやってみようかと思った次第なのであった。
こんだけ書いて結論は
- 日記好きだから日記で英単語メモ書いて覚えられるようにがんばろう
これだけである。
相変わらずのバイトのむだむだ日記ちゃんであつた。(・∀・)