ただの日記も…

気軽にかけなくなってしまう。ONEにポストされるとなると。ダイアリーは公開されてんだからいいでしょということなんだろうけど。なんだかんだでものすごく正直にいえばダイアリーは好きだし書きたいんだけど、ONEでなかまになれないコミュニティになんでもかんでもポストされたらお互いが困るだろうと。
ともだち関係きればいいじゃん、ってことだろうけど、そこまでしなきゃいけないものでもないだろう。たんにONEへのポストを制限したかった。連携も、ONEにはしたくないものもあるはずだ。だからサービス離脱したいと思ったけどそれもかなわないのかな。


やめた人間とはそりゃ思想が違うから議論にもならないしアーキテクト側が力持つのも当たり前なんで強くも言えないけど、ただただこれは残念だと思っている。
はてなは好きだとストレートにもはやナイーブな自分でも言えない段階なんだけど、整理して論理的に言うのもなんか面映く出来ないけど、やっぱり、自分らしかみてないと思う。もっとつながる、ということの、いろんなサービスがでてしまったいまの意味を深掘ってほしいと思う。
そうじゃなくて、自分のプラットフォームをさらに活性化するというだけの確信犯的なドグマだとしたら(そうなんだけど。だろうけどじゃなくてそうなんだと俺は確信持って思うけど)そういうことを、はっきりいうべきだろう。みんなにつかって、じゃなくて、こういうひとに使って、って。


最近、勉強していてisedとか、いわゆるネット論壇のはしりの時代にグループやダイアリーが果たした意味とか役割の大きさにすごいと思うことが増えていた。ソーシャルの走りだった、ということはもちろんある(やっぱりidトラバシステムが大きいだろう)
そしてブログデザインと長文志向なアーキテクトが「ネット論壇」なるものをうむ好循環をうんでいたのだとも思う。
そして、それがいまでも資産なのだと思っている。俺とか人文系にとってはまさに。もちろんそれだけが価値じゃあないだろう。TwitterとかFBとかアメブロがなんか好きになれなくてorともだちも別にいなくて、って人にとっては代替価値であるから。


まあ、がらりと昨年からかわって人生をやり直したい人間にとっては、ここまで暴力的なマージぶりだと肯定して受け入れがたいということだった。とりあえず、サービス脱退の流れはあると嬉しいです。