2011年買ってよかったものなぞなかったかも

今週のお題「2011年、買って良かったもの」らしい。第一想起、なんもなかった。つまりそれが俺の消費態度ということである。
このあいだ、広告界の精鋭さんたちと消費について考える会を持った。俺は厚みのある意見が出なかった。つまり、それが真実なのだ。フラットな消費なのだ。淡白かもしれないがここから始めなくてはいけないと思っている。記号消費だなんだといったところで、今年一年は消費によって叶えられる欲望というのはそこまでなかった、というのがこのお題という問いで明らかになってしまった。
これを書いているのはMacBookAirだ。最新式だ。でも別に買って良かったとはそこまで思ってない。はてなをやめたらむしろPCを打つのはそこまでないのだなと気づいた。活躍するための場がそこまでないのだ。会社持って行かない、学校はLANが飛んでない。うんこだ。
比較的大きな買い物を思い出してみる。

  • Mac
  • 加湿器
  • 衣服はほとんど覚えてない
  • 湯たんぽ
  • 電気ひざかけ
  • 賃貸新居<いい線だが買ってない
  • ソファ<共同購入である
  • 文房具とか<会社のグッズである愛着はまああるが用途が仕事だ
  • 財布<お金たまるようになったからこれか
  • ほぼ日手帳<まだなれない。デカイカズン。

…あとは思いつきもしない。マッサージとか治療とかのからだのケアと本しか買ってないのだ。最近は。
こんなものだ。結局上のものからみたら

  • お金がさらに増えるという欲望倍増装置に萌えたということ
  • ソファ<つながりならぬ、共同性的性質の消費が良かったということ
  • 湯たんぽ、ひざかけ<昨日買ったお。快適〜あったかー

みたいなものしかない。思想性のかけらもないようでそこにはあるかもしれない。
こう考えてみると、どうも広告の仕事に向いてなかったのかもしれない。買わせる欲望に対して淡白すぎるのであった。そんでもって、天職なんぞイメージが出来ないのでもある。なにに向いているか、これは仕事ありきではないと俺は最近わかったのだった。ようは関係性なのだ。したにも書いたが最近やったコンピタンシーテストは自己愛とか尊厳とかコンフォートなものとかそういう承認系しか動機がないのだ。社会的ひきこもりたいのが一番の欲望なのだ。こんな俺が客商売やっていいのかと思うことが昔より増えた。カネが全てというとバーンアウトしそうなのであるが、20代の頃と違う動機をどう飼いならすかというのは切実な問題である。
いろいろ思うところはあるが、はっきり言ってフリーランサー的態度ちゃんなのが性質のようなので、逆説的ながらに目の前のオシゴトをきちんとするなかで力を付けたいものだと思った。ちゃんちゃん。
結局お題をもとに関係無いことを書くメソッドがまたもや発動してしまった。拡散文散漫文。