上方は、だいじなだいじなオルタネイティヴというお話し

さっきのはサービスエントリーである。お題といえば自動的に書くものである。エレドラが当たる島村楽器キャンペーンもそのうち書くと思う。だが、まず当たらないと思う。元関係者とかあたるはずがなかろう(・∀・)ま、もらってもスペースがありませんからね。だいたいが3本あるギターでさえジャまなんでしょうから。
さて、今日は上方のお話しをしましょう。唐突なんですけど。
これが元ネタです。

おせっかい教育論

おせっかい教育論

関西でお世話になった中島淳氏御大ですとか、泣く子も黙る江弘毅さんが編集を担当している140Bが版元の本。なぜか東大図書館にあったのですかさず借りてみたり。ちょう不義理でご連絡できていませんが、まあ僕より間にいる人たちのほうが密だしね…とごめんなさいをしておきます。
最近、理解度が及ばなくてつくづく思考能力が低いもんだと落ち込むことが多いもんなんだけど、あと丁寧に思考を敷衍していくくせがどうもロスジェネ的社会化において能力低下したせいもあると思っていて、思考に対してコンプレックスが湧いてきている。もうすぐキャリアの節目の35だしアイデンティティクライシス@中年さしかかりという風に分析しているのだが、そんななか、うちだたつる先生のほんはスルッと脳みそを通り抜けて行くので1時間程度脳ほぐしに読むことが日課になってます。
で、今日もちょっとボンッ(byノルウェイの森)ってなりかけたので、うーっと思ってなんかネットみてたらなんかこういう記事を拝見しまして。
【書評】「1ランク上の自分」に取り憑かれたあなたへ -疲れすぎて眠れぬ夜のために(内田樹) | tate-lab
館野さんのブログを拝読していたところ、これまたたつる先生の本がありなんして、これは未読なんだけど、ちょっと肩の力がぬけて良かったなということがありました。内容はブログのほうをご覧になってください。この本は週末で読もうと思います。バクマンが読みきれてたら(・∀・)
で、お話しは戻して。関西、とか上方のお話し。
元ネタの本は大阪の中之島公会堂でやった対談がベースらしい。鷲田さんとかいるしね。まあ、140Bさんが出したところでやっぱり土着的な、大阪街場、ってブランドになるといえばそうなんだが、上方的思考ってのが、あったなあと思えたことがこれまたなかなか良かった。
なんどか書いているが大阪は第2の故郷、どころか一番落ち着く街であって3年弱だけど、また機会があれば住みたいところでもあるからだ。街が好きだ、というのもある。水辺が好きなもので中之島あたりはやっぱり好きだし。だけどもっと恋しくなるのは、やっぱり人だろう。
京都でなくて大阪なのはそこだ。人。コミュニケーションが土台の街だから。別に話し上手じゃなくちゃいけないわけじゃない。そのほうがいいけど…聞き役だけでもいいと思う、けど、豊穣さが違う街。ゆとりがある街。一過性のものが廃れてある種、本質に近い街。と思ってる。
東京が嫌ですさようならとかいう話ではない。東京は東京の良さがある。だけど、土着さというところは大阪なんだなあと。自分には。
もちろん超えられなかった壁もあるし、それがたぶんネイティブじゃない限界でもあると思うんだけど、仕事して住んで、思考するには、大阪だと思ってる。神戸もいいなーとは思うから神戸もかもね。普通の人は関西だったら京都で街とともに思考です、とか言うと思うんだけど、京都にちょっとだけ住んだ身として比較してみると俺は大阪。いいんです。京都好きな人は好きでしょう。歴史も長くて王者な感じなんでしょう。だけど、胸張って大阪です。庶民なんです所詮。おいらは。
庶民の思考、庶民がつくった学問って話が萌える本でした。本のこと話してなかったwww
と、実は街場の教育論と併読して流し読みしてただけなので、第2部の西梅田のフレンチ会合で話し合ったというのも読んでみようと思います。これ、ビル上のポンテベッキオかしら。ヒルトンとかリッツかもしれないけどそんなとこ行ってないからわかんないや。
どうも夜のほうが元気になってしまうこのごろですがそろそろピーク帯を変えないとだな。